09-1 蒲生紀行
2018年11月29日(木)
霧の朝
今の季節に時々起こる気象現象「霧」。今朝は,北薩・姶良方面に「濃霧注意報」が出されていました。蒲生高校も御覧のとおり濃霧に包まれました。
こういう日には,こんなものも見られます。
きれいですよね!
2018年10月17日(水)
収穫の秋
蒲生のあちこちで稲の刈り取り作業が進んでいます。学校の西門前の田んぼでも始まりました。
蒲生高校生のこの秋の収穫は・・・・。実り多いことを祈って・・・・。
2018年09月30日(日)
蒲生紀行㊳【下久德の田の神(秋)】
9月28日撮影
蒲生紀行第1回でご紹介した「下久德の田の神」です。前回は春(4月21日)でしたので,今年は秋の様子をご紹介します。そばに彼岸花(曼珠沙華)も咲いていて,いかにも「秋」という感じです。
2018年09月25日(火)
蒲生紀行㊲(実りの秋)
蒲生高校西門前の田んぼでは,稲穂が頭を垂れて黄金色に色づき始め,収穫の時期が近いことを知らせています。まさに「実りの秋」です。
蒲生高校生も,それぞれに大きな実りをつける秋となっていることでしょう。
2018年07月15日(日)
蒲生紀行㊱【八子剣大神】
随分長らくお休みしていました「蒲生紀行」。再開最初は,蒲生町上久德(川東)にある「八子剣大神」です。
ちゃんと祀ってくださる方がいらっしゃるようです。
境内にある由来記によると
勇猛で知られた蒲生家17代蒲生美濃守範清は,三州(薩摩・大隅・日向)平定のために蒲生家制圧を決した15代島津貴久公によって攻撃され,弘治三年(1557年)蒲生城が陥落する際,虎居の祁答院良重のもとに逃れた。「剣御前」は八人の子供を連れて祁答院へ逃れようとしたが果たせずこの地で八人の子ともども自刃した,と言い伝えられている。この神社は八人の子と剣御前の霊を慰めるために建立されたもの,
とのこと。皆さんも時間のあるとき,身近にある歴史を探訪してみてはどうでしょう?
2018年04月18日(水)
蒲生紀行㉟
今朝,蒲生・姶良地域は濃霧に包まれました。今朝の学校及び周辺の様子です。
校内の様子
住吉池方面
川東地区方面
今朝7:10~7:30に撮影しました。
2018年03月03日(土)
蒲生紀行㉞【吉田麓・興化寺跡の五輪塔】
吉田麓の興化寺跡の五輪塔を取材しました。「興化寺の五輪塔」と書かれた案内板から坂道を登ってみました。
写真の案内板によると昭和59年に,近辺の竹やぶの中に散在していた石塔群を掘り起したところ,吉田氏とそれに関係する人たちの法名が刻まれた地輪が出てきたので,きれいに並べて慰霊をしたことが書かれていました。
(2.25撮影)
2018年02月21日(水)
蒲生紀行㉝【吉田・本名川】
本名川は,鹿児島県鹿児島市本城町を流れています。近くには,吉田南中があり,昭和56年3月までは,蒲生高校吉田分校もあった地域です。
写真(下)の右側の建物は,鹿児島市吉田公民館です。
2018年01月07日(日)
蒲生紀行㉛【宇都隊道】
今日は,蒲生町と鹿児島市旧吉田町の間に建設されたトンネル「宇都隊道」を紹介します。トンネルを経由しない県道のルートもありますが,国道10号や高速道路へのアクセスがよいせいもあり,道幅の割りにそれなりの交通量があるようです。写真でご覧下さい。
宇都隊道全景
トンネル入口~鹿児島市吉田から
トンネルの中
トンネル出口~姶良市蒲生へ
2018年01月06日(土)
蒲生紀行㉚【触田井堰改良記念碑と水神様】
今日は,県道57号線の姶良市と鹿児島市の境界付近にある触田井堰改良記念碑と水神様を紹介します。
改良された川
触田井堰改良記念碑
水神様
所在地 / 鹿児島県姶良市平松觸田付近
2017年12月24日(日)
蒲生紀行㉙【蒲生市】~本日,吹奏楽部演奏!
藩政時代から続く「蒲生市」今年は12月23日(土)・24日(日)です。24日(日)は,蒲生高校吹奏楽部が午前10時30分から演奏します!写真は,23日(土)の蒲生市の様子です。中央通りと町通りが,蒲生市のエリアとなっています。
(12.23撮影)
2017年12月10日(日)
蒲生紀行㉘【猿田王子神社】
神社名は,猿田王子神社(サルタオウシジンシャ: 鹿児島市東佐多町3101-1)。鹿児島県神社庁ホームページによると,大昔この地をお治めになられた王子を王子権現と崇め斎き奉るようになったと伝えられる。また,ある夜のこと当時の城主と王子権現の神主とに,黒山口にある黒山口大明神と轟にある都津宮大明神を王子神社と一つ社に祭るべしと夢のお告げがあって,それからこの二神を当社に祭るようになったという。
(12.3撮影)
2017年12月09日(土)
蒲生紀行㉗【蒲生交流センター付近】
先日,蒲生交流センター付近を散歩してみました。
蒲生郷武家屋敷群
古民家の井戸
観光バス等を利用されて多くの方が蒲生を訪れています。
(12.3撮影)
2017年12月03日(日)
蒲生紀行㉖【龍門司坂】
龍門司坂は,旧加治木町に残る古道です。旧大口筋の一部で,木田の高井田から毛上に通ずる石畳の坂です。寛永12年(1635年)に着工し,その100年余後に完成したと言われます。石は近くの樋ノ迫山から切り出されたと伝えられ、石切場には、後に24代藩主となった島津久門(加治木島津家4代)の祠が残されています。全平成8年に文化庁より「歴史の道百選」に選定されました。写真にように大河ドラマ「篤姫」のロケ地としても有名です。(鹿児島県観光サイトから一部引用)
(11.23撮影)
2017年12月02日(土)
蒲生紀行㉕【龍門滝】
鹿児島県観光サイトによると,昔,唐人がこの滝を称して「漢土の龍門の滝を見るが如し」と言ったことから,龍門滝と呼ぶようになったと伝えられています。夜間にはライトアップされたファンタジックな姿を見ることができます。
龍門滝・正面
龍門滝・頂上から撮影 (11.23撮影)
2017年11月21日(火)
冬到来
全国的に今シーズン一番の冷え込みとなった今朝,ここ蒲生も1度近くまで気温が下がったようです(車載の気温計)。葉っぱには初霜が・・・。
いよいよ冬到来です。寒さに負けず充実した学校生活を送りましょう。
2017年11月18日(土)
蒲生紀行㉔【新名所発見】
今日は,蒲生の新名所になると思われる?くわづる公園を紹介します。現在、蒲生高校の西門前の田園が造成され,宅地になっています。その中に「くわづる公園」があります。宅地に家が建ち,人が住むようになると,きっと公園で遊ぶ子ども達の声が聞こえてくると思います。
右側後方は,蒲生高校の校舎です。 (11.16撮影)
2017年10月29日(日)
蒲生紀行㉓【森木田(もりきた)神社】
今日の蒲生紀行は,姶良市蒲生町下久徳の森木田(もりきた)神社を紹介します。森木田神社石塔群とも呼ばれ,下久徳各所にあった森木田神社,若宮,笛竹神社,高見堂,阿弥陀堂の神社や仏堂が明治後期から大正期にかけて森木田神社に合祀され,現在地に移しました。石塔群には,六角笠塔婆(ろっかくかさとうば),月輪塔(げつりんとう),不動明王碑(ふどうみょうおうひ),立像(りゅうぞう),石仏(せきぶつ)などがあります。
【森木田神社】
【石塔群】 (10.22撮影)
2017年10月22日(日)
蒲生紀行㉒【住吉(すみよし)神社】
今日は,姶良市蒲生の住吉神社を紹介します。住吉神社の後方にある住吉池は周囲の水田を潤しています。その昔この池には大蛇が住み,年毎に娘を犠牲に差し出す定めであったという。ある年,占いにより娘を差し出す家にあたった老夫婦が嘆き悲しんでいると,一人の聖翁が現れ,娘に似せた人形と毒入りの酒壷を小船に乗せ池に流せよ,とのこと。その通りにすると大蛇は毒酒を呑み竜気は天に昇り,蛇体は水底に沈んだとされます。喜び感謝する老夫婦に聖翁は,「我は是住吉の大神なり 今より往先牲を供進することなかれ」と,云い残して身を隠したという。このことから住吉神社を聖之宮と称え,池の主を蛇王権現と崇め祀ったと伝られています。【鹿児島県神社庁ホームページから引用】
【住吉神社入口付近】
【住吉神社入口正面】
【住吉神社】
【住吉神社から田園を望む】 (10.21撮影)
2017年10月21日(土)
蒲生紀行㉑【愛宕(あたご)神社】
写真は,姶良市脇元の愛宕(あたご)神社です。創建は寛保四年正月二十四日。古碑に「祭神火産霊命にして石小祠の内に正体乗馬の石像一体あり,重富分地後磯御方へ依頼,寛保甲子正月所中より建立」とある。即ち,重富島津家十六代忠紀公の時代に,本家の許しを得て創建したものである。当時は軍神として祭祀していたが,現在は火の神として里人の尊崇を集める。尚再々の暴風による崩壊のため,以後社殿は造営されず,石祠の神社として氏子崇敬者の信仰を集めています。【鹿児島県神社庁ホームページから引用】 (撮影日10月13日)
【愛宕神社入口】
【頂上までの石段】
【頂上へ着きました】
【頂上から姶良市を望む】
2017年10月15日(日)
蒲生紀行⑳【白銀坂(しらかねざか)】
今日の蒲生紀行は,重富地区の白銀坂(しらかねざか)を紹介します。近くには,重富中学校があり,蒲生高校にも毎年生徒が入学しています。白銀坂は,かって,薩摩国と大隅国の国境あたりに位置し,付近には多くの山城が築かれていました。戦国時代には島津貴久をはじめとする武将達がこの坂に陣を構えたといわれています。現在約3kmの道のりが残っており,高低差は300m以上あります。中腹には「七曲り」といわれる急勾配の箇所に石畳が敷かれ,今でも昔の面影を残しています。【姶良市ホームページより一部引用 10月13日撮影】
白銀坂に案内スタート
入口付近です。
真ん中付近です。息があがってきました(笑)。
頂上付近です。ぜひ,体験されてください。
2017年10月12日(木)
蒲生紀行⑲【永瀬橋】
現在,工事中の永瀬橋です。この橋を渡ると、蒲生町に入ります。工事前は,多くの生徒が通学に利用していました。「長い間ありがとう!永瀬橋!」
2017年10月09日(月)
蒲生紀行⑱【米丸地区・後郷川】
姶良市立漆小学校校区コミュニティ合同秋季大運動会に来賓参加するため,米丸地区を車で運転していると,横に後郷川(うしろごうがわ)が見えました。穏やかな流れで,秋のせせらぎを聴いてみました。彼岸花も赤・白と咲いています 。 この後郷川は、山田川に注ぎその後,別府川になります。後郷川のせせらぎを写真でご覧下さい。撮影日は,9月24日(日)。
【姶良市立漆小学校校区コミュニティ合同秋季大運動会】
2017年10月08日(日)
蒲生紀行⑰【漆地区・田の神】
写真は,蒲生漆地区の田の神です。像そのものが大きいうえに彫りが豪放であり,胸をはたげ上衣の袖はタスキでひだになり長袴をつけ,左足を立ててなかば腰かけたように右足を斜めにひいた姿は今にも動き出しそうで躍動感がありました。メシゲを斜めに持っていました。田園ものどかな雰囲気を漂わせていました。
2017年10月07日(土)
蒲生紀行⑯【山田橋】
老朽化に伴い撤去される姶良市下名の山田橋(1929(昭和4)年完成)の写真(上・下)です。多くの住民に愛され,9月22日夜には,山田小学校の児童や住民が感謝を込めて作った灯籠の明かりに包まれ,思い出に浸ったようです。
【山田橋(旧)】
【山田橋(新)】
【旧山田橋(左)と新山田橋(右)】
2017年10月01日(日)
蒲生紀行⑮【山田の里かかし祭り】
山田の里かかし祭りは平成6年から始まり,今年で24回目の開催となります。毎年,子どもからお年を召した方まで楽しめるような趣向を凝らしたかかしが数多く展示されます。かかし展示のほか,トイモガラ品評会,農産物販売,フリーマーケットやアトラクションもあり,一日中楽しめるお祭りです。蒲生高校もななつ星おもてなしボランティアで,昨年は山田小学校,今年は,山田中と山田の里かかし祭りを観光PRしています。かかし祭り実行委員長の西寛文さんによると「例年に比べて入場者も多く盛り上がってうれしかった」ということでした。
撮影日 9.23
2017年09月30日(土)
蒲生紀行⑭【蒲生夜市】
蒲生夜市の開催は,以前より蒲生町の商店街と熊本県阿蘇市一の宮の商店街は商店街の活性化について交流があり,蒲生町の商店街婦人部が門前町商店街で開かれている様な夜市を開きたいという考えが実現したものです。主に熊本県阿蘇市の復興支援を考え,この夜市では阿蘇市の商品が多く提供されます。蒲生商店街の代表理事の田中久嗣さんの話では,「子どもたちの参加が例年より多かった。内容も年々充実してきている」ということでした。
撮影日 9.23
2017年08月27日(日)
蒲生紀行⑮
学校近くの田園の稲穂が少しばかり,黄金色になってきました。朝方は,少し雨が降って,昼にかけて日差しが強くなっていきます。空は,写真のように,まだ夏という感じがします。夏休みもあとわずか,明日から元気に頑張っていきましょう。
【蒲生下久德の田園】
【少しばかり稲穂が黄金色に】
【天気も曇り時々晴?】
【蒲生の田園が雲に覆われています】
2017年08月19日(土)
蒲生紀行⑭
蒲生城跡を公園にしたもので,3月下旬~4月上旬には桜200本が咲く,花見の名所ともいわれています。 蒲生城は蒲生氏の居城で標高160メートルの竜ヶ山にあり,竜が伏したような地形をしていたことから「竜ヶ城」とも地元の方々から呼ばれています。写真で,頂上まで案内したいと思います。撮影日が,あいにくの雨で画像が暗く申し訳ありません。
【公園入口看板】
【城山公園入り口から,車で10分ほど】
【頂上に着くと,案内板があります】
【あいにくの雨模様】
【城山公園からの展望】
【城山公園からの展望②】
2017年08月18日(金)
蒲生郷の看板!
蒲生郷の入り口の看板です。観光名所のシンボルとして,存在感を示しています。
【地域情報】
◎ 蒲生町太鼓踊りは,8月21日(月)